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2016年7月 2日 (土)

同聚院→天得院→智積院→方広寺→豊国神社→廬山寺→清明神社

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本日は見頃の桔梗の花を求めてまわります。

最初は桔梗ではありませんが、同聚院。
東福寺の塔頭で本尊の不動明王坐像は高さ2.65mと迫力の大きさ。
日本最大の木造不動明王像だそうです。

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東福寺の臥雲橋を渡り

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特別拝観中の天徳院です。
通常は非公開で6月末~7月初旬と11月後半に公開の寺院ですが、秋の公開は食事とセットのみです。

京都の寺院は年中どこかしら短期間の特別公開寺院があるのですが、見頃と合わせてのチェックが忙しい…。

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苔庭に桔梗が咲きます。

天得院は豊臣秀頼の依頼で方広寺の鐘の銘文を撰文、その一文が徳川家を呪うものとして取りこわされたものの150余年後復興したそうです。
この銘文を口実にして大阪の陣が起こり豊臣家が滅びたのですね。

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前日の雨を吸って苔の緑も生き生きしています。
桔梗も丁度見頃。

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花頭窓からの眺めも見所です。

拝観が始まってすぐに伺いましたが、既に混み混み(汗
皆さんチェックを怠りませんね~。

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徒歩で七条の智積院へ。
こちらは寺紋が桔梗紋ということで桔梗も植えられています。

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植えられてはいますが、実は智積院は他にも名勝庭園や長谷川等伯親子の国宝障壁画など見所いっぱいで桔梗は申し訳程度?
余裕有りそうだしもう少し増やしてもいいのでは~とも思いますが。

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今は紫陽花園が見事でした。
正に虹色。

こちらは無料でかなりの部分を拝観できるのが良いですね~。

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お昼は智積院食事どころのその名も「ききょう」で。

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天得院で方広寺の一件を思い出したので、つながりで方広寺へ。
この鐘が大阪の陣の口実にされた鐘です。
鐘楼堂の天井画が華やかで美しい。
往時の方広寺が偲ばれます。
日本三大名鐘だそうです。

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徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものといちゃもんをつけられた「国家安康」「君臣豊楽」の文字はマーキングされて良く見えます。
鐘一面に刻まれた銘文からよくまぁこの文を取り上げられるものだと徳川の執念を感じました。
でも近いところにわざわざこんな文言を入れることも無いだろうとも。
やはり意図的?
縮小されても方広寺が残り、鐘が溶かされずに現存しているのも凄いことですね。

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続いて豊国神社へ。
豊臣秀吉を祀る神社で、一旦は徳川期に破却されたものの明治期に再興したもの。
国宝の唐門は伏見城の遺構。
宝物殿には秀吉縁の品々が納められていました。
刀剣乱舞に登場する骨喰が納められていたということで縁スポットらしいです。

しかし京都のあちこちで見る遺構から想像するに伏見城はどんだけ豪壮華麗だったのでしょうね。
残っていたら当然世界遺産だったでしょう。

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付近には他にも豊臣縁のところが。
豊国神社を出てすぐのところにある耳塚。
文禄・慶長の役の際に首印の変わりに耳や鼻を持ち帰ったものを塚を築いて弔ったものだそう。

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京阪で七条から出町柳へ移動。

炎天下で一日ウロウロして暑い!
ということで鴨川デルタでしばし涼みました。

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一息入れた後は、廬山寺です。
こちらは紫式部の邸宅跡に建っています。
源氏物語を執筆したのもこの場所だそうです。

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庭園の源氏庭には苔に桔梗が白砂に映えます。
こちらも丁度見頃。

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生け花のように端正な桔梗でした。
心落ち着きます。

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本堂の廊下は美しく黒光りしていました。
これは角度によっては床もみじや床みどりになりそう。

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京都御苑の中を通り

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一条戻橋を渡ります。
戻橋付近には妖しのものや魑魅魍魎が出るらしいですよ。

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清明神社へ来ました。
陰陽師の安倍清明を祀った神社。
ここは以前から一度来たかったのです。

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こちらは千利休の邸宅跡でもあり、安部清明が霊力で湧き出したというこの清明井で茶の湯を立てたといいます。

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清明神社の神紋は五芒星ですが、その形から清明桔梗紋と呼ばれ境内には2,000株の桔梗が植えられています。
こちらも見頃でした。

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壮絶に混んでいる路線バスに乗って祇園四条へ移動。

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夜は先斗町で床料理にしました。
一日歩き回って大汗をかいたのでビールが五臓六腑に染み渡ります!

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本日のお土産

豊国神社のひょうたんお守りと清明神社の魔除けマグネットです。

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