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2021年5月29日 (土)

第45回北総ウォーク市川コース

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第45回北総ウォークの市川コースに参加しました。
北総線は京成なので駅でセルフでマップを受け取りスタンプを押します。

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新柴又駅からスタート

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北総線沿いに千葉方面に歩き

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江戸川の土手を登ります。

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江戸川河川敷に降りて歩きます。
河川敷と言っても広いので車道もあるし運動場も多くあります。

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河川敷には小岩菖蒲園もあります。
菖蒲の花が咲き始めていました。

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色とりどり(^^)

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菖蒲田にはおたまじゃくしや小エビもたくさん。

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市川橋を渡って千葉県市川側に。

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市川市に入ると中央分離帯にバラが植えられていました。
市川市はバラの町なのだそうです。

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山埼製パンの中央研究所前を通り

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住宅街を抜けて弘法寺の参道へ。
弘法寺へは今回行かないようです。

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参道上には色々旧跡があって、赤い欄干は万葉集に詠われたという真間の継橋の復元。

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続いてこれも山部赤人によって万葉集で詠われた真間の手児奈を祀る手児奈霊堂。
手児奈は美女で有名だったらしいのですが、手児奈霊堂はそれにちなんで?良縁成就と子授け、安産、子育て祈願の宮だそう。

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坂を登ります。
今日のコースは台地周辺を行き来するので坂を登ったり降りたり(^^;)

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坂を登り切った須和田公園で一休み。
途中にあった行列の肉屋さんのコロッケでエネルギー補給。

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再び住宅街を降りて行く途中にあった郭沫若記念館。
入ってみます。

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郭沫若は中国の文学者・政治家で日本に留学、中国帰国後曲折を経て文学者となり政治活動を行い再び日本へ亡命。
妻子と共に市川市に9年間居住。
その当時の家を移築復元したものが市川市郭沫若記念館となって公開されています。

郭沫若はその後中国に再帰国して文化大革命を越えて変遷をたどりながら文学者・政治家として活躍、日中友好の架け橋にもなったそうです。
プロフィールを調べると激動の時代を逞しく生き抜いたという印象です。

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再び坂を登り、下総国分寺です。

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またもや坂を降りて外環道を越えてチェックポイントの道の駅いちかわです。
かなり充実した道の駅でした。

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MAPにスタンプを押します。

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歩道橋を渡って再び外環道を越えて台地側に戻ります。

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坂を登って台地上へ(^^;)

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住宅街を通り

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またもや坂を降りてじゅんさい池公園です。
細長い池がある公園です。

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緑の中を歩くとほっとします(^^)

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坂を登って住宅街を歩き

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矢切駅前にある笑がおの湯がゴール。
完歩記念で入湯料が150円割引、汗だくだくだったのでありがたくひとっ風呂浴びました!

【笑がおの湯】

入湯料:820円→670円
ロッカー:有り(無料)
ドライヤー:有り(無料)
備考:人工泉

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お疲れご飯は矢切駅からほど近いお蕎麦屋さんで。

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本日の頂き物

完歩記念品と道の駅でMAPを見せて500円以上買物すると特典でドリンクを頂きました。

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お買い物は市川名物?アランチャドレッシングです。

door to doorで28,757歩、18.69kmのウォーキングでした。
寄り道が多かったので歩数が伸びました(^^;)

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2021年5月28日 (金)

人間ドック2021

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今年の人間ドックは病院を変えてみました。
千葉に転居以来同じ病院で受けていましたが、気分を変えて。
今年の病院は高層タワーの上階に位置するので無駄に見晴らしが良いです。
受診も丁寧で快適だったので来年からもこちらにしようかな。

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ドック後の食事はチケット制で10箇所ほどのレストランから選べます。
とりあえず病院から行きやすいところに。

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2021年5月22日 (土)

風薫る新緑!!七福神めぐりとプロジェクト未来遺産・雑司が谷を結ぶ散歩道

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JR東日本の駅ハイ「風薫る新緑!!七福神めぐりとプロジェクト未来遺産・雑司が谷を結ぶ散歩道」に参加しました。
タイトル長い(^^;)
池袋駅のアゼリアロードで受付後、MAP等を受け取りスタートです。
例年今の時期に池袋駅ハイは面白いコースを歩かせますが、今年はスタンダードに池袋七福神巡りです。

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東通り(シンプルな通り名ですね)に折れて進みます。

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最初の七福神はビルの足下にある布袋尊。
ビルになった石材店の店頭に大正時代から据えられていた物で二度にわたる空襲で右肩部分が欠損も修繕されて今に伝えられている物だそうです。

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東通りから小道に折れて

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次のスポットは威光稲荷堂。
威光山法明寺の中にある稲荷堂です、管理がお寺のおいなりさん。
周辺はお寺が集まる寺町のようです。

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観静院です。
加藤清正が供奉した尊像をご神体とするそうです。

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弁財天が一角にあります。

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次は池袋ウォーキングではお馴染み、雑司ヶ谷鬼子母神堂。
子育てと安産に御利益がある鬼子母神を祀ります。

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大黒天は境内のお団子屋さんの一角に。

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次のスポット雑司が谷案内処は緊急事態宣言の為お休み中。
何度も寄ったことがあるし(^^;)

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大鳥神社です。
元は鬼子母神境内にあったものが神仏分離令で現在地に遷座。

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惠比壽神は遷座の折に行方不明になったものを近年再び祀られました。

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都電荒川線を越えて

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清立院です。
村を疫病から救った僧侶が日蓮上人像を寺に残したのが寺名の由来。
この辺りは起伏があります。

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こちらは毘沙門天。

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古い建物も残る鶴巻通りを歩きます。

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その一角にあるせんべいやさんの小倉屋の工場直売でお買い物。

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真ん中のフクロウ型のせんべい(逆さに置いていますが;)が駅ハイ特典です。

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日本女子大学のツタの絡まる学生寮の前を通り

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清土鬼子母神です。
雑司ヶ谷鬼子母神尊像が出土した地だそうです。

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吉祥天は鬼子母神の娘神。

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坂道の住宅街の小道を登ります。

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紫陽花がそろそろ見頃。

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雑司ヶ谷霊園の中を歩きます。
都立霊園で夏目漱石や小泉八雲、泉鏡花や島村抱月といった文豪や、ジョン万次郎、竹久夢二の墓があるそうです。
都心にあって緑の多い広い霊園です。

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豊島区庁舎に向かいます。
左の高い建物が豊島区庁舎、右奥はサンシャイン60。

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豊島区庁舎の10階にある豊島の森で一息。

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更に進み

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池袋大仏のある仙行寺です。
高さ5mの木曽檜造りだそう。

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こちらには福禄壽がいます。

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池袋七福神めぐり完歩!

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次はサンシャインにある古代オリエント博物館ですが、緊急事態宣言の為休館中。
古代オリエント博物館もサンシャインもしょっちゅう行っているので外観のみで割愛します。

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途中にあった酒屋さんのビル。
池袋だからフクロウがモチーフなのかな?アールヌーボーっぽさもあります。

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乙女ロードをかすめて

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最後のスポットは昨年夏に完成したハレザ池袋です。
多目的ホール、区民センター、オフィスビル、公園などが一体化し、アニメや漫画をはじめとする文化とにぎわいの発進拠点だそうです。
乙女ロードにあるからか「乙女」がいっぱい(^^;)

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再び池袋駅に戻りゴール。

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お疲れランチは池袋駅前の老舗レストランで。
昭和感たっぷりの人気店です。

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本日の頂き物。

フルーティアふくしまのボックスティッシュなど。
実用品は嬉しい。

door to doorで18,448歩、11.99kmのウォーキングでした。

埼玉県民だったし、全ウォーキング中で池袋のウォーキングが一番参加しているので目新しいところは無いかと思ったら知らない所も結構有り楽しかったです。

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2021年5月15日 (土)

墓参→丘の上バラ園

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5月は夫の両親共に命日のある月なので墓参へ。

良く真夏と真冬に亡くなる人が多いと言いますが、我が家の身内は何故か5月に亡くなる人が多いのです。
(夫両親、伯父、叔母、自分の叔母)
次は8月も多い。(しかもお盆の頃)

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墓参の後はランチをして

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御宿の海をぶらっと散歩。

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帰り道の大多喜にある「丘の上バラ園」へ。
既存の施設がオーナーチェンジしてバラ園になったそうです。

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敷地内に建つ英国風の建物がマッチしています。

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本来はホテルでチャペルもあります。

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色とりどりなバラが咲いていました。

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ハーブティーで人一息。

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丘の上にある癒やしの庭園でした。

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2021年5月 8日 (土)

新緑の季節と自然を楽しむ 京成津田沼駅~谷津駅

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京成電鉄のさわやかウォーク「新緑の季節と自然を楽しむ 京成津田沼駅~谷津駅」に参加しました。
新京成と同じく駅に備え付けのMAPをセルフで受け取りスタートです。

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暫く進み習志野市役所の前で右折。

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菊田遊歩道を歩きます。
遊歩道には良くありますが、こちらも暗渠化された川筋の模様。
木陰が嬉しい季節になってきました。

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階段を登って

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鷺沼城址公園です。

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城址を降りて海の方へ向かいます。

実は鷺沼城址に登るところからこの辺りまでMAPの表示がわかりにくく迷い人多数(^^;)

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袖ヶ浦運動公園内にある習志野市スポーツ振興協会がチェックポイント。

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持参したMAPにセルフでスタンプを押します。

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袖ケ浦運動公園を出て京葉道路沿いに歩きます。

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京葉道路を潜って海側の住宅街を歩き

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今度は袖ケ浦東近隣公園です。

先ほどからの名称の袖ケ浦ということは弟橘媛の袖が流れ着いた辺りなのですね。

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公園内は花盛り(^^)

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再び住宅街を経て今度は香澄公園です。

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第一カッター球場の横では少年(少女)野球の試合が行われていました。

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はなみずき橋を越えて住宅街の緑道を進み

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谷津干潟です。

一時は周辺と同じく埋め立てられそうになったのが保護活動により残された貴重な都市部の干潟。
ラムサール条約に登録されています。

サギや各種のシギ、カモなどが多く見られます。

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あちこちに観察コーナーが設置されています。

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足下にはたくさんのカニや貝が。

谷津干潟の周囲をぐるっと半周。

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谷津干潟に面している谷津バラ園です。

感染防止のため園内は一方通行になっています。

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開花率50%との事ですが結構咲いていました。

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様々なバラの色と香りを楽しみながらバラ園内をぐるっと一周。

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去年の春バラシーズンは千葉県内も緊急事態宣言でこちらも閉園していたので、今年は見ることが出来て良かったです。

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名物のバラのアイスクリームは谷津バラ園を設計したミスターローズと呼ばれる鈴木省三氏がテイスターとなり、国産のバラの花びらとローズヒップと朝の絞りたての牛乳で作られたそうです。

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バラ園を出て谷津駅前までの商店街でランチがてら休憩。
ウォーキングに行ったらなるべく現地の店を利用する事にしています。

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谷津駅下のファミマでゴール手続き。

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谷津駅でゴールです。

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本日の頂き物

door to doorで24,159歩、13.94kmのウォーキングでした。

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2021年5月 6日 (木)

一度きりの大泉の話

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読書感想はブログには書かず普段はサイトのindexページの独り言に書いていますが、今回は残しておきたかったのでこちらで。

自粛週間のGWに読んだのは萩尾望都の「一度きりの大泉の話」です。
漫画家の萩尾望都によるプライベートな話で、デビュー直後の大泉時代を中心にした本です。
かなりボリュームがありましたが一気に読みました。

日本の漫画家の多くが住むという西武線沿線、個人的に埼玉時代に西武線沿線住人になった時は、「ここがトキワ荘があった」「ここが虫プロのあった」「ここが大泉サロンがあったキャベツ畑」etc.etc.と沿線のあちこちで感激したのを覚えています。
大泉は沿線の中の大泉学園駅が最寄りです。
そして現在も西武線沿線の別の駅に萩尾望都は居住です。

さて、その大泉に竹宮惠子に誘われて九州から上京した萩尾望都が同居。
1970年10月~1973年5月と短い間でしたが、少女漫画界ツートップの大御所漫画家が若い頃に同居して数々の有名漫画家が集い、後日大泉サロンと呼ばれたのでした。
少女漫画版トキワ荘の様に言われていましたが、どんなことがあったか、どうして解散・絶縁したのか、その内実を萩尾望都側から語った本です。

簡単にいってしまえば萩尾望都の才能に焦りを感じた竹宮惠子側が理由をつけて「距離を置きたい」と宣言したのですが、その理由が萩尾望都を深く傷つけてしまったという内容。

当時巻頭カラーを連発していた竹宮惠子が巻末作家(だけど一部に熱烈なファンがいた)だった萩尾望都の才能に嫉妬というのは先見の明があったというか、周囲の雑誌編集者達の反応が問題だったのか。
当事者は20代前半の女子だったので若気の至りと言っても良いし、講談社でジリ貧だった萩尾望都を作品を預かって小学館に紹介したのは竹宮惠子なのでそこを鑑みればもう50年も経ったのだから許しても良いのでは?と思うのですが余りに萩尾望都は繊細だった。
事が漫画家の矜持にも関わってしまった事、両巨匠の感性の違い、周辺を囲む関係者の思惑などなどあったのでしょう今に至るまでこれほどにこじれたままというのは正直驚きました。

1973年の決裂以来、萩尾望都は竹宮惠子の作品を一切見ていないとか。
代表作の「ファラオの墓」や「風と木の詩」も映画化された「地球へ…」も見ていないとは、同じ掲載誌に載ることさえ避けていたとは、同じテーマや先方の好みそうなテーマも避けていたとは驚き。
そして竹宮惠子側から大泉に触れて直接送られてきた本「少年の名はジルベール」も読まずに返送するとは理解する気もないし、寧ろ墓場まで自分の想いを持って行きたかったのでしょう。

個人的には昔から萩尾望都派で、竹宮惠子の作品はメイン(?)の少年愛ものは苦手でしたがSFな「地球へ…」「エデン2185」や「イズァローン伝説」は好きですし、漫画家から大学の学長への転身も鮮やかだと思うし、長い間作画が劣化しないしストーリーの構成も素晴らしいと思っていました。
それは今でも変らないのですが、若気の至りがこんな形で暴露されて心境は如何ばかりか…。

対談や両者の和解の仲介や恐らく大泉サロンは朝ドラにというオファーがあったのでは?と思うのですが、両者が存命中は無理でしょうねぇ。

画家のゴッホとゴーギャンという巨匠がアルルで同居して悲劇に至ったように、木原敏江が語ったように「個性ある作家が同じ家に住んではダメ」だったのでしょう。
そして大泉からは萩尾望都の「ポーの一族」と竹宮惠子の「風と木の詩」という大輪のひまわりが咲いたのです。

萩尾作品「ハワードさんの新聞広告」と「マリーン」の原作付き作品のエピソードがわかり感動もありましたが、長年のファンには驚きと衝撃の本でした。

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